歴史を楽しめる散策スポットが目白押し!

しあんばし駐車場の周辺は歴史を楽しめる散策スポットが目白押しです!駐車場の近くにある丸山は江戸の吉原、京の島原とともに日本三大遊郭の1つと言われ、上方の商人たちの出入りも多く賑わっていたそうです。丸山の遊女は唐人屋敷や出島のオランダ屋敷への出入りが許可され、異国人との交流ができていました。遊女や異人、坂本龍馬など歴史に残る人たちの足跡が、この界隈には残っています。

思案橋跡碑
思案橋の電停の道路をはさんだ両側にあります。この付近にはかつて玉帯川が流れ、花街時代に遊郭へ「行こうか戻ろか」と思案したので名付けられたと言われています。遊郭への門前橋として思案橋が架っていたそうです。
忍び坂
丸山公園から大徳寺公園へと続く「勅使坂」の途中から、船大工町へと抜ける坂道は忍び坂と呼ばれ、かつて丸山遊郭で遊んだ男達がこの裏階段を忍んで通ったことから名付けられたと言われています。
梅園身代わり天満宮
元禄13年丸山町乙名安田治右衛門によって創建、丸山町の氏神様として親しまれています。元禄6年安田治右衛門が二重門で梅野五郎左衛門に襲われ、自邸に担ぎ込まれたが不思議なことにどこも傷が無く、身代わりに庭の天神様が血を流されて倒れていたそうで、その後、この天神様を身代わり天神と呼ぶようになったそうです。この場所は長崎奉行の許しにより、芝居や見世物、相撲などの興行が行なわれていました。また、花街に接しているところから遊女や芸者が多く参拝していたそうです。
中の茶屋(江戸中期の茶屋跡 市指定史跡 昭和51年指定)
中の茶屋は昭和51年に市指定史跡に指定された庭園です。丸山の遊女屋築後屋が茶屋を設けていたところで、内外の文人墨客に好んで遊び親しまれました。幕末期にできた俚謡「ながさきぶらぶら節」でも「遊びに行くなら花月か中の茶屋」と読み込まれており、江戸時代中期に築かれた庭園として、市内寺院のものを除けば、数少ない遺跡の一つです。史跡内にある建物では、風刺性や文学性豊かな政治漫画やかっぱの絵で有名な長崎出身の漫画家 清水崑の原画等約80点程を展示しており、幅広い年齢層に親しまれています。
丸山オランダ坂
丸山遊女だけが出入りを許されていた出島のオランダ屋敷へ向かうため、目立たない森崎坂からこの坂を通って、当時流れていた玉帯川から小舟に乗り出島へ通ったと言われています。オランダ屋敷行きの遊女が通ることからこの名が付けられたとされています。
大徳寺公園
寺もないのに大徳寺の名が付く公園です。明治元年に廃寺となった大徳寺の名前が現在も残っています。長崎の七不思議として「寺もないのに大徳寺」と俗謡で歌われています。園内にある鳥居には、わずか1年長崎が府であったことを証明する「明治元年長崎府」の文字が刻まれています。また、県指定天然記念物で大徳寺の大クスと親しまれている樹齢推定800年前後とされている大きな楠の木があり、そのためか境内には大楠神社と楠稲荷神社があります。園内には明治初期創業の梅ヶ枝焼餅屋もあり、美味しいと評判ですので是非ご賞味を!